神保町 覆麺 「花木さんの塩ラーメン with ワンタン」
神保町の『覆麺』にて、「花木さんの塩ラーメン」を食べて来ました( ^o^)ノ。
この日は、西巣鴨の『中華そば 半ざわ』さんとコラボレート( ^o^)ノ。
『覆麺』の大将が『中華そば 半ざわ』に出向き、腕を振るうというイベントがありました。
返して『覆麺』は、お弟子さんの花木さんが守り、花木さんの「覆麺」が食べられます( ^o^)ノ。
花木さんと言えば日曜日の顔で、ワンタンが名代でしたが、コロナ禍の関係か日曜日の営業は休止。
そのまま花木さんの都合もあってか、日曜日の営業は終了となりました。
その為、花木さんのワンタンは現時点では幻となってしまいました。
個人的には、西巣鴨に行くか神保町に行くかで悩んだのですが、大将のスペシャルなラーメンはこれから先、きっと食べられる機会もあるかも知れません。
しかし、”『覆麺』で食べる花木さんの「覆麺」” は、もう今後は食べられなくなるかも知れません。
そう考えたら、自ずとハンドルを神保町に切っていました。
お店に着くと、14時を回っているというのに、実に20名以上の並び客。
さらに言うと、お店では告知していませんでしたが、Twitterをフォローしている人には告知済み、実は「覆麺」の他にも冷たいスープで食べる「冷やしラーメン」が隠れメニューとして用意してありました。
梅雨明けでうだるような日が続く今日この頃、どうしても皆さんは「冷やしラーメン」をチョイスする人が多いようで、そうなると麺を茹でる時間も普段よりかかり、結果として回転も悪くなります。
20名程度だったら、どれくらい待てば…と頭の中で皮算用をしたのですが、前述の理由でいつも以上に回転が悪いため、想像より遙かに、お店に入るのに時間がかかってしまいました。
途中、Twitter仲間の常連さんが何人も来ていて、いろいろと会話を交わしたり、『一福園』の大将がなにか荷物を運んできたりと、いろいろあったのですが、結局1時間ちょっと並んでお店に入ることが出来ました。
実は、直前まで「冷やしラーメン」にするか「覆麺」にするかで悩んでいたのですが、お店に入った瞬間、なぜか心が決まりました(^^;。
食券を買って、花木さんに渡すとき、「冷やし、まだありますよ」、と言う花木さんの声に、「いえ、暖かいのにして下さい」、と「覆麺」をお願いしました。
ついでに200円分の食券も渡し、ワンタンを注文。
鮑の肝のワンタンは残念ながら売り切れ。その為、枝豆のワンタンと生姜ワンタンにしました。
ちゃっちゃ、と仕上げる花木さんですが、他のお客さんは「冷やしラーメン」が多いようです。
冷やしと「覆麺」の同時進行は難しいようで、なるほど、これは回転が悪くなるわけだ…と思いつつ、次に私の「覆麺」を作ってくれました。
醤油か塩かを聞かれたのですが、私は塩が好きなので、当然塩をチョイス。
油は背脂か鶏油かを聞かれたのですが、後者の鶏油を選びました。
丼にスープを張る瞬間、そのチョイスがまさに正解だったことを悟りました( ^o^)ノ。
まるで、琥珀を溶かしたような澄んだ透明のスープ、淡く茶色く色づいた端麗さを見せつけるスープは、さぞかし鶏油が合うことでしょう( ^o^)ノ。
茹でたてのワンタンも乗って、漸く私の目の前にラーメンがやって来ました( ^o^)ノ。
正直、この時は半端じゃなくお腹が空いていたので、脇目も振らずに一気に食べてしまったのですが、なんか、花木さんの人柄がにじみ出ているようなラーメンでした( ^o^)ノ。
ひと言で言うと、” 優しい ” ( ^o^)ノ。
具材も作り方も、基本は大将の編み出した「覆麺」であるのでしょうが、花木さんが作ると、大将の強さよりも、花木さんの柔らかい ” 優しさ ” が感じられるような気がします。
じんわりと染みるような旨味が、口の中にジュワァ~ッと広がって、隣のお客さんが言っていた、「いつまでも食べてしたい味」、と言うのが心底納得出来ます( ^o^)ノ。
ごま油が効いた枝豆のワンタンも、ピシッと生姜の強いワンタンも、正に肉料理のようですが、久しぶりの花木さんのワンタン、嬉しいほど美味いです( ^o^)ノ。
少し強めにしてもらった塩ダレも私好みで、アッと言う間に完食。
私より先に食べていたお客さんより先に、食べ終わってしまいました(^^;。
私の後ろにもかなりの数のお客さんが並んでいたので、大急ぎで席を空けて、ご馳走様を伝えて店を出ます。
お店を後にして、足早にクルマに戻るとき、ふと後ろで、大切な思い出が転がって音を立てたような気がしました。
いつもの、” 花木さんの居る『覆麺』” も、いつか花木さんの独立によって、過去の物になってしまうのかも知れません。
花木さんの味は、花木さんが独立したお店で食べられるとは思うのですが、競争厳しいラーメン業界、花木さんのこれからの苦労も並大抵のことではないと思います。
いつかは終わりが来て、そして移り変わってゆくのが世の常ですが、今日のこの味が、ずっと記憶出来れば良いなぁ…と思って止みません。
好きだったモノがいくつも失われて、記憶の中だけに残る。
そんなことが歳を重ねるにつれ、どんどん増えていくのが、歳を重ねることの悲しさでもあると思いますが、それを ” 経験 ” と言い換えることも出来るのでしょうか。
少なくとも、今日は「美味しかった」、と言う嬉しい記憶を残しておきたいと思います。
そう思いながら、今日も私の後ろに、コロコロと澄んだ音を立てる思い出が、転がり落ちてゆきました。