松本コウイチの徒然日記

大崎 平和軒 「タンメンと半チャーハン」

2021/11/28
 
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千葉県松戸市在住のオッサン。 "オイルショックの年に生まれた"と言われ続けて育ってきた。 食べるの大好き、作るのも好き。 DIY系も頑張っています。最近はレザークラフトも始めたけど…(^^;。

大崎の『中華料理 平和軒』にて、「タンメンと半チャーハン」を食べて来ました( ^o^)ノ。

誰にだって、心の中に残る風景があって、いつだって目を閉じればそこに行けるし、夜、眠りに落ちたとき、心だけが抜け出して、自由な風景の中で懐かしい想い出を散歩することがあると思います。

でも、現実にはその場所はもう無くなっていて、そこ行っても想い出の欠片をぽつりぽつりと拾うような懐かしさと寂しさに、何とも言えない気分になるんです。

私にもそんな風景が、沢山ありますが、そのうちの一つが、この『平和軒』さんだったりします。


今から四半世紀も昔、『平和軒』さんのすぐそばにある大学に、通いました。
今にして思うと、ついこの間のことのように思うのですが、もう25年以上も昔のことなんですよね…数字を知って、愕然としています(^^;。

このラーメン屋さんは、比較的夜遅くまでやっていたので、大学を出るとき、既に真っ暗で、街頭と民家の窓からこぼれる光だけの薄暗い路地に、煌々と『平和軒』の看板が明るく見えたのが覚えています。

ついつい、家に帰ってから食事を摂れば良いモノを、溢れんばかりの若さと活気のある胃袋に負けて、吸い込まれてしまうんです(^^;。

店内は、絵に描いたような町中華のお店で、入って左手には座敷もあります。

私はいつもテーブルで食べていたのですが、座敷を覗くと、時々級友が先に来ていて、ラーメン一杯で長居をして、TVを観ながら居眠りしている…なんてこともありました(^^;。

私がいつも注文するのは、ラーメン、ワンタンメン、タンメンのルーティーン(^^;。


偶に五目チャーハンを頼みます。
実はえびチャーハンと言うのが当時はあって、いつかは食べてみたい、と思っていたのですが、終ぞ食べる機会がありませんでした。

この日は、懐かしい「タンメン」と、「半チャーハン」をお願いしました。

ガラスで仕切られた厨房の向こうに店主が消えると、チャーハンを作っているのであろう、中華鍋を奮う音が聞こえてきます。
あの当時、この音が嬉しくて、早く食べたくて仕方なかったんです(^^;。

目の前に、「タンメン」と「半チャーハン」が運ばれて来ました。

早速箸を取って、まずは麺から頂きます。
あの当時と比べて、少し味が薄くなったような気がします。


店主が味を変えたのか、偶々今日、味が薄かったのか、それとも私の思い出補正がかかっているのか…。

「半チャーハン」も、タマネギがたっぷりで、焦げた感じが何とも香ばしくて食欲を誘います。
「タンメン」のスープを飲みながら食べる「半チャーハン」の美味さは、今も昔も変わりません( ^o^)ノ。

今では連絡先も分からない友人が殆どです。
大学を卒業して以来、一度も会っていない友人が、殆どです。
また、私が在学中に阪神・淡路大震災が発生し、偶然その時に帰郷していた友人が亡くなりました。

正直言って、顔を思い出せませんが、他の友人の多くもそんな感じです。
生まれて初めてソ*プラ*ドに行った、人生の中での大イベントを一緒にした友人も、今はどうしているんでしょうね。

多分、もう、道ですれ違っても全然、お互いに気がつかないと思います。

でも、この『平和軒』さんに行くと、もしかしたらその頃の友人に会えるんじゃないか、なんて思うんですよね。

そんな『平和軒』さんも、区画整理の関係で、そう遠くない将来、お店を閉めることになるそうです。

今と昔とを繋ぐ、私にとってとも大事な想い出のドアが、近く失われることになります。

そうなる前に、なるべく機会を作って、『平和軒』さんに来ようと思っています。
もしかしたら、志田や大橋や茂木や横山や青木や髙橋に、会えるかも知れないので…。

もし会えたら…そうですねぇ…「このラーメンって美味いよね」、って声を掛けたいですね。

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