息子の土曜参観日に、自分も卒業した小学校に行って来た。

息子の土曜参観日に、自分も卒業した小学校に行って来ました。
気がつけば息子も小学校高学年。
自分自身、結婚したのがついこの間のように思えて、息子が生まれたのも去年くらいの感覚でした。
しかし、小学校卒業もあと少し、と言うところまで来ています…。
そんなある日、息子の小学校で土曜日に参観があり、父親である私が参加してきました。
息子の通う小学校は、私が卒業した小学校と同じ小学校です。
私は育った地元から一度も離れること無く、ずっと実家で生きてきました。
ありがたいことにカミさんも私の実家で暮らしてくれて、息子ここで生まれました。
その結果、幼稚園も小学校も、恐らく中学校も、私と同じ学校に通うことになると思います。
久しぶりに、自分の卒業した学校の校門をくぐり、スリッパに履き替えて構内に入ります。
そこかしこに思い出が残り、また消えた面影なんかも辿りつつ、息子の学ぶ教室へ。
今と昔ではまるで違う教室の風景の中、息子の姿を眺めつつ、時間がとろとろと過ぎていきます。
学び方も、教材も、机も椅子も、昔とは全然違います。
授業を受ける子供達の間にぐいぐい入っていって、自分の娘であろう女の子にぐいぐい意見し指導する父親…こんな人、自分たちが子供の頃はいなかったと思うなぁ…なんて思いながら、白い目で見ていました(^^;。
授業が終わり、はにかみながら私のところに来る息子。
なんかちょっとだけ、家にいるときの息子より、なんかちょっとだけ、大人びて見える気がしました。
息子と別れて学校を出ようと階段を降りますが、ふと気になって、思うところに行きました。
階段の踊り場。
それはそこにありました。
これは、今から40年前に、私たちがこの小学校を卒業するときに作った、卒業記念です。
大分古くなってしまって、日に焼けてしまっていますが、ステンドグラスを模して作ったモノです。
実際には粘着性のあるアクリルの板に貼られた黒い紙を、下書きに沿って切り抜いて、抜いたところにセロファン様のものを貼ったものです。
各クラス、一年の中で行われた様々なイベントを題材にして作りました。
私のクラスは、学年の各クラスごとに御神輿を作って校庭を走る、と言うイベントがあって、その思い出を題材にしました。
長い年月の中で、黒い紙の部分がアクリルから剥がれてしまって、かなり劣化してしまっていますね。
私は、御神輿の担ぐ棒を一生懸命作った記憶があります。
よく見ると、作品の右上の、葉の無い木の向こうに黄色い小山のようなモノが見えます。
これは、我が校自慢の「インディアンの丘」と呼ばれる場所で、ちょっとした小山が校庭の端っこにあって、そこには桜の木が植わり、登り棒や山を下りるかたちで雲梯があったり、頂上には丸太を組み合わせた砦がありました。
他の小学校にはこれほど大規模な物は無く、我が校の自慢でした。
が、今はこの丘と樹木だけが残っており、頂上の砦は無くなっています。
かなり前に、劣化が激しくなり撤去されたそうです。
丸太で作られていましたので、経年の劣化はあるのでしょうが、維持管理、補修、そして再構築して欲しかった、と言う思いはありますが、これも時代なのでしょうか。
ちなみに、私たちが慣れ親しんだ「インディアンの丘」、という名称も、今は使われていないそうです。
さらに言うと、近年、校舎の増築が行われました。
私の小学校の校庭は元々かなり狭かったので、新しい校舎の為にさらに狭くなり、運動会は事実上行えない状況。
そのため、運動会の時は近くの中学校の校庭を借りることでなんとか行っています。
…元々私の小学校には、もう1棟、校舎があったんです。
木造2階建ての校舎で、私たちの学年がそこで学んだ最後の児童です
…私たちが2年生に上がったとき、老朽化が理由で取り壊されました。
その取り壊された校舎とほぼ同じ場所に、今、新しい校舎が出来るというのは…ちょっとした感慨があります。
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私は40年前に小学校を卒業し、その後大学まで行って、社会に出ました。
長い社会経験の中で妻を娶り、息子に恵まれました。
その息子が、小学生になり、もうすぐ卒業します。
息子の人生はどうなるのでしょうか。
ちょっと、胸が熱くなります。
息子も、息子の息子の土曜参観で、こんな思いをするときが来るのでしょうか。
その時、私は息子のそばにいるのでしょうか。
大それたモノではありませんが、自分の生きた記憶と記録が、ほんのちょっとでも、この地球上の砂粒一つくらいの分でも、ひっそりと残り続けたら嬉しいなぁ…なんて贅沢なことを思ってしまいました…(^^;。